観光を保全の資源循環へつなぐ試み
訪れた先で感じる湿った土の香りや、田んぼを渡る風、川辺に戻ってきた鳥の声──こうした風景は、単に自然が放置された結果ではなく、長年にわたる人々の手入れと関わりによって保たれてきた。環境省が進める「良好な環境を活用した観光モデル事業」は、その保全の担い手や費用が減少する現状に対し、観光を媒介にして保全活動への資金や関係性を地域内に還流させる仕組みづくりを目指している。
事業の背景には、過疎化・高齢化や生活様式の変化によって、これまで続いてきた手入れが維持困難になっている現実がある。環境省 水・大気環境局の渡邉奈央さんは、保全活動が「社会にとって大きな価値を生んでいるのに、その価値がお金として戻りにくい領域」であると指摘し、観光がそのねじれを解く一手になり得ると位置づける。
「環境保全は、社会にとって大きな価値を生んでいるのに、その価値がお金として戻りにくい領域です」
後半では、環境省の事業の一事例として取り上げられている兵庫県豊岡市の取り組みを紹介する。ここでは一般社団法人豊岡観光イノベーションが、地域の象徴であるコウノトリとともに人々が共生するまちづくりを掲げ、観光から得られる収益や新たな関係性を保全・再生に結びつけようと試行している。
重要なのは、観光が単なる「風景の消費」にならないことだ。観光客がその場の自然の美しさだけを享受して立ち去ってしまうと、そこに伴う保全のコストや担い手の負担は軽減されない。環境省が目指すのは、訪れる人が地域の保全の循環に関わるような設計であり、そのためには収益の配分や参加の仕組み、持続的な関係構築が不可欠である。
この問題を整理すると、主に次の要素が挙げられる。
- 保全の担い手不足:過疎化・高齢化により手入れの人手が減少している。
- 収益の逆流不足:観光で生まれる価値が保全活動に十分戻っていない。
- 地域の合意形成:観光と保全を両立させるための地域内調整が必要。
豊岡の実践では、流域全体を見渡す視点が重視される。森・川・水田・湿地・海を一体化して捉え、訪れる人がその土地の未来を支える形で関われるかを探る点は、他地域への横展開を考えるうえでも示唆的だ。一方で、このアプローチを広げるためには、単発の先進事例に終わらせずに地域ごとに適した仕組みを稼働させる必要がある。
政策的には、環境行政の歴史も示唆を与える。渡邉さんは環境庁発足の1971年以降の歩みと、2001年の環境省移行を振り返りながら、現代では「守ってきた環境をどう人々のウェルビーイングや地域の魅力につなげるか」が問われる時代になったと述べる。これは従来の保護・規制に加え、地域経済と保全を結ぶ新たな政策設計が求められていることを示す。
ただし、制度設計には留意点が多い。例えば、観光収益の配分が不透明だと、保全活動への還元が実効性を欠く恐れがある。地域の担い手に適切な対価が渡らなければ、短期的な観光振興は長期的な環境維持を害することにもなり得る。したがって、事業には収益配分のルールづくり、地域住民や事業者の参加機会、長期的な資金確保策が組み込まれる必要がある。
| 事業の主眼 | 狙い |
|---|---|
| 良好な環境の活用 | 観光を入り口に保全・再生・創出へつなげる |
| 地域循環の構築 | 観光収益や関係性を地域の保全に還元する |
今後の展開としては、次の点が鍵になるだろう。第一に、観光と保全を結ぶ具体的な財務メカニズムの確立。第二に、地域ごとの事情に応じた設計と合意形成。第三に、モデル事例を超えた水平展開を支える政策支援と人材育成である。豊岡のような地域で実践が積み重ねられ、その結果が他地域でも実行可能であると確認されれば、観光は単なる消費行為を超え、地域の良好な環境を支える持続可能な仕組みになり得る。
風景を守ってきたのは誰かを問い直すことが、この試みの核心である。観光がその問いに対する一つの解を提供するか否かは、制度設計と地域の合意形成、そして訪れる人々の関わり方次第だ。これからの議論と実践が、地域の生態系と人の営みをいかに次世代へ渡すかを左右する。