社会認知を鍛える心理的支援で生活の“使いやすさ”向上を目指す
京都大学大学院医学研究科の研究グループは、他者の感情や意図を理解する能力、いわゆる社会認知に着目した治療プログラムの日本版を作成し、成人の自閉スペクトラム症(ASD)と統合失調症を有する参加者を対象にランダム化比較試験を実施しました。臨床試験の結果、表情から感情を読み取る力の向上が観察され、ASD群では「心の理論(他者の心の状態を推測する能力)」や日常生活・社会生活に関する全般的な機能にも改善の傾向が認められました。研究成果は2026年7月22日に国際誌にオンライン掲載されています(Psychiatry and Clinical Neurosciences)。
この取り組みは、米国で統合失調症向けに開発された社会認知スキルトレーニング(SCST)を日本語・日本文化圏向けに適合させたもので、臨床での実用性を検証するために多施設かつ評価者盲検下で比較が行われました。社会認知は、対人関係や職場でのやり取り、日常の細やかな意思疎通などに直接影響するため、これを改善する介入は当事者の生活の“使いやすさ”を高める可能性があります。
- 対象:統合失調症および自閉スペクトラム症の成人
- 介入:米国発のSCSTを日本版として整備した治療プログラム
- 主要な成果:表情からの感情推定能力の改善、ASD群での心の理論や生活機能の改善傾向
研究代表の一人である大塚貞男氏は、これまで臨床心理士として精神科医療に携わる中で、ASDをもつ成人に対する心理学的支援のエビデンスが不足していることを問題意識として研究を進めてきたと説明しています。博士課程で社会認知と生活機能の関係を明らかにした成果を踏まえ、今回の臨床試験の構想と実施に至ったと述べています。
「心理学的支援がASDをもつ成人の生活機能や生活の質の向上に役立つというエビデンスが乏しいことに問題意識をもち、...この臨床試験を計画しました。そして、博士課程入学から10年以上を経て、ようやくこの研究成果を公表することができました。」(大塚貞男)
今回の試験は、ASD成人にSCSTを適用した初の研究例であり、表情理解の改善にとどまらず、心の理論に関する改善傾向や日常生活での機能向上が観察された点が特に注目されます。こうした変化は、単に検査のスコアが上がるだけではなく、実際の対人場面や社会活動への参加度合いの改善につながる可能性があります。
研究チームは、本成果が示す意義を踏まえ、異なる精神疾患間で共通する社会認知の困難に対する疾患横断的な治療プログラムの展開と、各疾患や個々人の特性に応じた個別化支援を組み合わせた統合的な治療法の開発が今後の課題であると指摘しています。つまり、同じような対人理解の困難を抱える人々に対して、共通したトレーニングを基盤としつつ、場面やニーズに合わせた調整を行うことで、より多くの人に利益が及ぶ可能性があるということです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 掲載誌 | Psychiatry and Clinical Neurosciences(オンライン掲載) |
| 掲載日 | 2026年7月22日(オンライン) |
| DOI | https://doi.org/10.1111/pcn.70106 |
| 代表研究者 | 大塚貞男、村井俊哉(京都大学大学院医学研究科) |
報告では、単回の治療や短期の介入だけで劇的な効果を期待するのは適切ではないことも暗示されており、持続的・段階的な支援と社会資源の連携が重要だと考えられます。臨床応用に際しては、次の点が現場での検討課題となるでしょう。
- プログラムの実施に必要な人材育成(臨床心理士や支援者への研修)
- 医療機関・福祉・就労支援の間での連携方法
- 個々の症状や生活状況に合わせたプログラムのカスタマイズ
また、研究で使用されたイメージ図は共同で作成され、そのうちイラストが大塚氏とAIツールを用いて生成されたことも公表されています。研究成果は学術的なエビデンスとしての価値だけでなく、支援プログラムの実務化を進める際の重要な参考資料となります。
今回の報告は、ASDをもつ成人の支援方針を見直す契機を提供すると同時に、当事者が社会でより自立して生活できるようになるための介入の一端を示しました。今後は、規模を拡大した追試や長期フォロー、実際の生活場面での効果測定などが期待されます。現場の支援者や関係機関は、この成果を踏まえつつ、地域で利用可能なサービスとの結びつけを検討していく必要があるでしょう。
生活の質や社会参加の拡大を目指す取り組みとして、今回の研究が示した方向性は有望です。心理的な技法を用いた支援が実際の暮らしにどのように組み込まれ、長期的にどの程度の効果が得られるか――その答えを得るための次の段階の研究と現場実装が待たれます。