JR福山駅前に長く親しまれてきたミニシアター系映画館「福山駅前シネマモード」(福山市伏見町)が6月末で閉館した。運営会社の判断によるもので、営業最終日となった30日には多くの市民や帰郷した出身者らが詰めかけ、90年代・2000年代を通じて育まれた地域の映画文化に別れを告げた。
市民が見守った最終日、スクリーン前に寄せられた感謝
最終日は2スクリーンで終幕にふさわしい作品が上映され、来場者は上映後に館内へ戻り、映写室の見学や舞台挨拶のような時間を過ごした。東京在住の掛江翔伍さん(25)=福山市出身=は、地元のミニシアターならではのラインアップを求めて閉館までの1週間に有給休暇を取り、20本以上を観賞したと話した。会社役員の中田基晴さん(61)=同市松永町=は、福山で撮影された映画にエキストラ出演した思い出を語り、長年の愛着を示した。
「多くのファンに愛されていたと、改めて実感した」
この言葉は同館の藤井信支配人の感謝の表現であり、来場者が壁や柱に寄せ書きを残すなど、閉館を惜しむ場面が見られた。
歴史と役割――時代の変化に伴う転換と設備の限界
シネマモードの前身は1947年開業の仮設映画館「日米館」。67年に「ピカデリー劇場」「日米劇場」の2スクリーンとして再出発し、その後の市内の映画館事情の変化を受けて、2005年ごろから独自路線に舵を切り、2013年に改称して現在の名称となった。大手配給会社が扱わない作品を扱うことで、一般のシネコンとは異なる観客層を築き、地域の上映空間としての役割を果たしてきた。
しかし、設備の老朽化が進行し、運営会社フューレック(同市)は閉館を決断した。経営面の詳細や今後の建物利用については公表されていないが、長年の運営に伴う維持管理の課題が背景にあると見られる。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1947年 | 仮設映画館「日米館」開業(前身) |
| 1967年 | 「ピカデリー劇場」「日米劇場」として2スクリーンで開館 |
| 2005年頃 | シネコンの登場を受け、ミニシアター系を中心にシフト |
| 2013年 | 「福山駅前シネマモード」に改称 |
| 2026年6月末 | 閉館(営業最終日30日) |
地域文化への影響と今後の可能性
ミニシアターは単に映画を上映する場にとどまらず、特定の観客層を育て、上映後のトークや連携イベントで文化的な交流を促す役割を担ってきた。シネマモードの閉館は、市内でこうした多様な映画体験を提供する拠点が一つ失われることを意味する。特に若年層や映画ファンにとって、個性的な作品に触れる機会が減少する懸念がある。
一方で、閉館後の流れも注目されている。運営会社が美術館の喫茶室で上映会を開くなど、既存の文化施設と連携して映像文化を継続する動きが始まっている。市内の文化団体や有志による自主上映や、地域の公共施設を活用した上映ネットワークの構築が、当面の対処策として考えられる。
- 短期的には、映画ファンは近隣都市のミニシアターやシネコンに足を運ぶ必要が増える。
- 中長期的には、公共・民間の連携で上映空間を確保する仕組みづくりが求められる。
- 地域の文化政策として、資金面や施設維持の支援を検討する余地がある。
住民への実用的な情報
閉館に伴い、会員制度や前売り券、回数券がある場合の対応は、運営会社フューレックが案内を行っている。未使用のチケットやギフト券については、同社の公表情報を確認の上、指定の手続きを取ることが必要だ。上映会や関連イベントの情報は、市内の文化施設の広報や運営会社の告知を注視していただきたい。
また、今後市内での上映機会を探す場合、以下が当面の参考となる。
- ふくやま美術館など、既存の文化施設が企画する映像イベント
- 近隣都市のミニシアターや公開イベント(広島市など)
- 運営会社や市の文化担当による自主上映の告知
閉館は一つの時代の区切りだが、地域の映画文化が途切れないようにするには、行政、民間、市民それぞれの役割が問われる。今後の動き次第では、新たな上映空間や文化の芽が育つ可能性もある。地域にとって大切な上映拠点をどう継承していくか、議論と具体的な行動が求められる。
(取材・文=石井 裕子)