成長神話の代替を問う
日本社会に根強い「成長=繁栄」の枠組みを前提とする見通しが揺らぐなか、京都大学名誉教授の広井良典氏が新著で提示した未来像は、従来の拡大モデルを再考し、地球の有限性を前提に社会制度を再設計することを提案している。岩波新書から刊行された『日本の未来像 地球定常文明のデザイン』(1100円)を取り上げた評考をもとに、その主張と示唆を整理する。
著者は、人口や経済の拡大から定常化への過渡期に日本が立ち入っていると診断する。その上で、従来型の「経済大国」イメージに代わる新たな国の自画像を描く必要性を説き、単なる経済成長追求ではなく、自然環境や地域共同体と調和する社会設計を軸に据えることを主張する。
自然資本と地域循環の重要性
本書で繰り返し取り上げられる概念の一つが自然資本だ。市場取引の外にあって社会の基盤を支える自然や生態系の劣化が、適切に評価されず政策に反映されていない現状を問題視している。著者は、伝統的な自然観や地域に根ざした文化――例えば「鎮守の森」に象徴されるような慣習――を再評価することが、自然資本の回復や地域再生につながると論じる。
また、グローバルな覇権交代や地政学的変化を踏まえ、単一の集中化した世界観ではなく多元化した国際秩序を見据えた経済構造への転換が必要だとする。具体的には、地域レベルで経済が循環するローカリゼーションの道を重視し、外部依存を減らしつつ地域コミュニティーの再生を図る方向性を提示している。
若年期支援の再構築――「人生前半の社会保障」
少子化や未婚化、晩婚化といった社会現象の背景には、若年層の生活や雇用の不安定さがあると本書は指摘する。その対策として著者が強調するのが、教育・住宅・雇用の各分野にわたる公的支援の強化、いわゆる「人生前半の社会保障」の制度化だ。
「人生前半の社会保障」
若年期への投資が将来的な社会的結びつきや出生率の回復につながるという論理だが、著者はこれを日本の最優先課題の一つと位置づける。個々人のライフコースに沿った実効的な支援がなければ、人口構造の悪化に歯止めはかからないとの警鐘でもある。
主張の整理と政策的含意
本書が示す中心的なアプローチは、環境、福祉、経済を分断して論じるのではなく、それらを相互に関係づけて捉える点にある。キーワードを挙げれば以下の通りだ。
- 地球定常文明:成長の前提が変わるなかで持続可能な社会秩序を模索する視座。
- 自然資本:生態系や自然環境を価値として政策評価に組み込む必要性。
- 人生前半の社会保障:若年期の包括的支援による人口・社会の安定化。
これらは日本の現行政策に対する挑戦でもある。たとえば自然資本を政策の中核に据えるには課税や補助の仕組み、評価指標の整備、土地利用や都市計画の抜本的な見直しが伴う。若年期支援を拡充するには、教育や住居政策、雇用制度の総合的な連携が不可欠で、短期的な財源確保や制度設計のハードルは高い。
現場と思想の接続点
広井氏は学術的な論考にとどまらず、地域との関わりやプロジェクト経験にも言及しながら議論を展開している点が特徴だ。地域での生態系保全やコミュニティ再生の具体例を紹介することで、抽象的な理念が現実の政策や地域活動へとつながる道筋を示そうとしている。
社会の受け手側にいる若年層や地域住民にとって、提案の実効性が問われる局面は多い。理念を掲げるだけではなく、地方自治体や民間、住民が協働して実験的に制度を試す場が増えるかどうかが、今後の焦点となるだろう。
最後に、本書は既存の成功モデルから脱して国の自画像を描き直すことを促す一冊だ。持続可能性を基軸に据えた新たな政策的選択肢を示す意欲作として、政策担当者や有識者のみならず、将来を案じる多くの国民にとって考える材料を提供している。
| 書名 | 日本の未来像 地球定常文明のデザイン |
|---|---|
| 著者 | 広井良典(京都大学名誉教授) |
| 評者掲載 | 上川孝夫(横浜国立大学名誉教授)による書評掲載:週刊エコノミスト2026年7月21・28日合併号 |
| 判型・価格 | 岩波新書・1100円 |
(社会部・森田 拓海)