地震被災で解体決断、金沢の文学的聖地が消える
直木賞作家の五木寛之さん(93)が1965年から暮らした金沢市小立野5丁目の木造アパート「東山荘」が、取り壊されることとなった。建物は1963年に建てられ、築年数が60年を超えているが、2024年の能登半島地震で外壁の剥落など被害を受け、安全確保の観点から解体を決めたという。地元の住民や文学ファンにとって、地域の記憶をとどめる「聖地」が姿を消す決断だ。
東山荘のすぐ隣に住む所有者で石川県建築士会の畝本秀一会長(73)によると、五木さんは当時、妻の玲子さんと2階の角部屋に暮らしていた。畝本会長は、当時の大家が自身の両親であり、五木さんの義父である岡良一氏との親交を通じて入居が決まった経緯を説明している。畝本会長は五木さんと中学生の時に顔を合わせたことがあるといい、「いつもげたを履いていた印象がある」と当時を振り返る。
「いろいろ考えたんですけど、潮時かなと思いました」
畝本会長は、外壁の損壊を受け、周囲に危険が及ぶ恐れを重視して解体に踏み切ったと語る。建物の保存や改修、記念館化など複数の選択肢を検討したが、安全面や維持管理の現実を踏まえ、苦渋の決断に至ったという。地域の歴史的・文化的価値と、住民の安全確保の間での判断だった。
地域への影響と住民の反応
東山荘は五木さんの短編「小立野刑務所裏」など作品の舞台にもつながる場所で、今も訪れるファンが多く、写真を撮る人の姿も見られた。石川郷土史学会副会長の横山方子さんは、「今まで残しておいてくれて、ありがとうという気持ち」と語り、保存を望む声の一方で、長年保存されてきたこと自体に感謝する見方を示した。
- 東山荘は市街地の細い道沿いにある木造アパートで、建築は1963年。
- 五木さんは1965年から同地に居住し、創作活動の一端を過ごした。
- 2024年の能登半島地震で外壁が剥がれる被害を受け、安全面から解体が決定された。
ファンにとっては生活の営みが残る「場所」としての価値があり、保存を求める声も根強い。だが、建物の老朽化と地震被害の現実が優先された。保存を模索するうえでの経済的・技術的なハードル、行政の支援の有無など、専門的判断を要する課題が背景にある。
金沢の記憶と観光資源としての位置付け
金沢は文学や芸術をめぐるスポットが多い都市で、作家ゆかりの地は市内外から訪れる観光客の関心を集める。五木さんが通っていた片町2丁目の純喫茶「ローレンス」には、五木さんが直木賞受賞の一報を受けた際に座っていたというテーブル席が今も残り、こうした「物語を伝える場所」が町の魅力を形作っている。
今回の東山荘の解体は、こうした地域資源の保存と更新について、改めて議論を促す契機となる。建物自体は消えるが、五木さんが小立野で過ごした事実や、地域との関わりは記録や語り継ぎによって維持されるしかない。地域の歴史をどう保存し、次世代へ伝えるかは、自治体や住民、専門家が協働して考えるべき課題だ。
| 項目 | 内容(報道による) |
|---|---|
| 建物 | 東山荘(木造アパート) |
| 所在地 | 金沢市小立野5丁目 |
| 築年 | 1963年 |
| 五木さん居住開始 | 1965年 |
| 解体理由 | 2024年能登半島地震による被災(外壁剥落等) |
保存の検討段階で取り得る対応としては、記録収集(写真・証言のアーカイブ化)、建物の部材保存、代替の記念展示などが想定されるが、今回の報道時点で具体的な保存計画や行政の支援決定は示されていない。地域に残る五木作品ゆかりのスポットを結ぶルート整備や、記念プレートの設置など、物理的建造物に依存しない継承策も検討に値するだろう。
東山荘の解体は地域の景観や文化資産に変化をもたらす。住民によると、解体作業は近隣の安全確保を図りつつ進められる見通しだが、工事期間中の交通規制や騒音、粉じん対策などの日常的影響が生じる可能性がある。関係者は、工事の進捗や周辺への配慮について引き続き周知する必要があるとしている。
金沢の文化的記憶の一端を担ってきた東山荘が消えることは寂しさを伴うが、何が失われ、何を残すべきかを地域で議論する契機にもなる。今後は、被災した文化資源の保全方針と住民の安全確保を両立させるための具体的な対策が求められる。