鳥取城北の甲子園支える沖縄出身マネ 苅田さんの挑戦
鳥取城北高校が夏の甲子園に3年連続で出場する中、選手たちのそばでチームを支える女子マネジャー、苅田空琉さん(17)の存在が注目を集めている。苅田さんは故郷の沖縄から約1千キロ離れた鳥取へ単身で移り、マネジャーとしての役割を担ってきた。阪神甲子園球場での練習風景でも、ベンチでの仕事ぶりが写真に収められている。
苅田さんは中学時代にバレーボール部のキャプテンを務めていたが、ひざのけがで選手としての限界を感じた。その後、地元の硬式野球チームでマネジャーを経験し「人のために動くのが好き」として進路を決めた。進学先に鳥取城北を選んだ理由として、7歳上の兄・琉翔さんがかつて同校に在籍していたことや、甲子園を目指せる環境が整っていることを挙げている。
入学後は日々の雑事に追われる中で、高校1年の夏に同行した甲子園見学が転機となった。アルプススタンドからベンチに目を移した時、選手と同じ場に立ちたいと強く感じ、以後「ベンチで戦う」気持ちで動くようになったという。
- 担当業務:タイム計測、用具の修理、データ分析、場内アナウンスなど多岐にわたる
- 苦労した点:後輩マネジャーの退部により一人で多人数の練習運営や裏方作業をこなしたこと
- チーム内の評価:主将の山本尚太選手が「気づかいが半端ない」と信頼を寄せる
苅田さん自身は、選手が野球に集中できるよう「自分の存在を意識されないくらい」の環境作りを目指している。鳥取大会で念願のベンチ入りを果たし、試合の苦しい場面や勢いに乗る瞬間を選手のすぐ隣で共有してきた。特に記憶に残る光景として、決勝でエースの下浦一心投手が完投後にマウンドを降りた場面を挙げ、仲間を鼓舞する姿を間近で見て影響を受けたことを語っている。
「スタンドから応援するんじゃなくて、ベンチで一緒に戦いたい」
甲子園出場はチームにとっての成果であると同時に、苅田さん個人の挑戦でもある。沖縄の家族は優勝の報告を受けて激励の言葉を送り、兄も「甲子園で勝てよ」と喜んでいるという。鳥取での生活は2年半に及び、将来的には大学でも野球部のマネジャーを続け、プロのスポーツチームに関わる仕事を目指す考えを示している。
| 項目 | 内容(記事内情報) |
|---|---|
| 氏名 | 苅田空琉(17) |
| 所属 | 鳥取城北高校(3年連続夏の甲子園出場) |
| 出身地 | 沖縄 |
| 主な役割 | マネジャー(タイム計測、用具管理、データ入力、場内アナウンス等) |
地元の高校野球は、選手だけでなく支えるスタッフやマネジャーの存在も勝敗に直結する。苅田さんのように県外から来て地域の一員となった若者は、チームの戦力面にとどまらず、地域と若者の交流にもつながる。地元住民や関係者にとっては、以下のような点が関心事項だ。
- 若年層の進学・移住の受け皿としての学校の役割:県外から来た生徒が安心して学べる生活支援や住環境の重要性
- 大会運営やボランティアの必要性:マネジャーや運営スタッフの負担軽減に向けた地域の協力
- 地域スポーツの将来像:部活動を通じた人材育成と、地元就労・定住に結びつける取り組み
苅田さんのような例は、鳥取の学校や地域が持つ魅力を外部へ伝える好例でもある。外部からの生徒が増えることは、多様な経験や価値観が地域にもたらされる反面、生活支援や孤立防止といった課題も生じる。教育機関や地域団体、自治体は、受け入れ体制の整備や相談窓口の周知など、実効性のある支援を検討する必要がある。
最後に、甲子園での活動は選手のプレーだけが注目されるが、ベンチを支える裏方の働きにも目を向けてほしい。苅田さんは「迷ったらまず踏み込んで。やってみたらどうにかなります」と、これから故郷を離れて挑戦する人たちへ向けた言葉を残した。地域として、こうした挑戦を支え、次世代の人材が活躍できる土壌を育てることが求められている。
(取材・文=長谷川 豊、写真=佐藤常敬、阪神甲子園球場での練習風景より)