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長野・信州新町の磨崖仏「琵琶滝如来」 保存と継承の取り組み続く

長野市信州新町の渓谷に立つ高さ約4メートルの磨崖仏「琵琶滝如来」。彫刻家・宮尾応栄が戦友の慰霊のために制作した作品の保存と後世への継承が地域課題となっている。

長野・信州新町の磨崖仏「琵琶滝如来」 保存と継承の取り組み続く
©イラスト AI生成 :斎藤 綾/プレスリリースジェーピー

地域に刻まれた慰霊の彫刻、保存と伝承が問われる

長野市信州新町の渓谷に、高さ約4メートルの磨崖仏が岩壁に刻まれている。『琵琶滝如来』と名付けられたこの作品は、旧津和村出身の彫刻家・宮尾応栄(1908〜1990)が太平洋戦争で亡くなった戦友を悼み、制作したものだ。完成から44年が経過し、当初の注目度は落ち着いたが、地域住民や教育・文化関係者が保存と継承に取り組んでいる。

応栄は1944年の空襲で左手の指3本を失い、戦傷を負って帰還した。その後、彫刻を学び、5年目の43歳で日展に初入選し、69歳まで入選を重ねた。70歳で磨崖仏の制作に取りかかり、住み込みで取り組んだ末に1982年に完成したとされる。作品完成時には遺族が慰霊法要に参列し、作者は大きな意義を感じたと記している。

  • 場所:長野市信州新町、県道393号沿いの渓谷、琵琶滝隣の岩壁
  • 作者:宮尾応栄(1908〜1990)
  • 特徴:磨崖仏「琵琶滝如来」、目を閉じ手を組む姿、高さ約4メートル

作品は旧信州新町時代に文化財に指定され、風化対策として砂のはがれ落ちる部分にコンクリートを吹き付けて形を保ってきた。しかし2010年の長野市との合併後、文化財指定が解除され、注目や行政の対応は薄らいだ。保存のための制度的裏付けが変わったことが経緯として存在する。

「作品が埋もれてしまう」と、応栄と交流のあった前沢盛雄さん(88)は懸念を表す。

地域では保存と伝承に向けた具体的な動きもある。信州新町中学校では夏休み明けに初めて応栄の作品を題材にした授業を実施し、美術を担当する千原厚教頭(51)は、児童・生徒に作者の人物像や制作姿勢を伝えることを目的に掲げる。地元の信州新町美術館では応栄の彫刻を常設展示し、作品や作者の解説パネルを備えている。学芸員の前沢朋美(54)は企画展開催への意欲を示し、地域の宝としての保存・活用の道を模索している。

年・時期出来事
1944年中部太平洋カロリン諸島メレヨン島で空襲、左手の指3本を失う
43歳(5年目)日展初入選
70歳磨崖仏の制作に着手
完成(82年)磨崖仏完成、慰霊法要に遺族が参列
旧信州新町時代文化財指定、風化防止のためコンクリート吹付け
2010年長野市と合併、文化財指定解除

住民や関係者が抱く課題は明確だ。ひとつは外部からの注目が減ったことで保存への支援が得にくくなっている点、もうひとつは作品自体が風化のリスクにさらされている点である。旧指定時に行ったコンクリート吹付けは形の維持には寄与したが、長期的な保存の観点からの評価や追加対策が求められる。

住民にとっての実利的な影響は以下の点に表れる。地域資源としての磨崖仏の存在は観光や学びの場になり得るが、適切な保存・情報発信がなければ地域振興につながらない。学校教育では作品を題材にすることで、地域の歴史や戦争の記憶、芸術家の歩みを次世代に伝える機会が生まれているが、継続的な教材化や施設連携が必要だ。

今後の方向性として、考えられる施策は次の通りだ。

  • 専門家による保存・修復の調査と計画策定
  • 長野市、地域団体、美術館、学校の連携による継続的な教育プログラムの構築
  • 作品の来歴や作者の史実を整理した情報発信(パネル整備、ウェブでの紹介等)

地域の文化資産を守るには行政の制度的支援、専門性に基づく保存技術、そして地域住民の関心と継承意欲が必要だ。信州新町の関係者は小規模でも着実な取り組みを続けており、美術館や学校の活動はその一端である。琵琶滝如来が今後も地域に根ざした慰霊の場、学びの場として存在し続けるために、住民と関係機関による地道な保存・継承の努力が求められている。

斎藤 綾
斎藤 AI編集 長野県担当記者 オンライン

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