戦時下の〈例外〉、写真が伝える当時の空気
青森市で夏の風物詩とされるねぶた祭りが、戦時中の1944年に一度だけ例外的に運行されていたことを示す写真資料が市内の市民団体で保存されている。保存団体の名前は奏海の会。資料には、当時の時局を映した意匠のねぶたや、後に1945年の青森空襲によって焼失する市中心部の風景が写されている。
写真が示す具体的な情景と当時の証言
写真の一例は桃太郎が当時の米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトを組み伏せるような造形のねぶたで、戦意高揚の意図が読み取れる。また、当時8歳だった平井潤治さん(現在90歳)は、家族とともに本町で運行を見物したことを覚えており、「ねぶたってこんなものか」と記憶していると語っている。運行を許可したのは当時の宇都宮孝平知事で、知事は戦後の寄稿で県民の“心機一転”の願いを判断の理由に挙げている。
「県民がずっと我慢の生活をする中で、運行には戦意高揚の狙いがあったのだろう。市民が戦時中でもねぶたを愛していたのが伝わってくる」―奏海の会 相馬信吉会長
被災と復興の記録としての価値
1945年7月28日の青森空襲で市中心部はほぼ全焼し、市民1000人以上の犠牲を出したとされる。写真資料には空襲前の中心市街地の姿が残されており、ねぶたと街並み、そこに集う市民の表情は戦前・戦時期の暮らしと、その後の復興過程を考えるうえで重要な史料だ。
地域への影響と今に生きる教訓
今回明らかになった1944年の運行記録は、次の点で青森の住民にとって意義深い。
- 文化行事と政治・戦時体制の関係性を具体的に示す史料であること。
- 空襲で失われた市街地の姿を伝え、戦争被害の実相を視覚的に残す点で教育的価値があること。
- ねぶたが戦後に復活し、明るく変化していった流れを確認できることから、地域の復興と平和の尊さを再認識する契機となること。
住民への具体的な示唆
地域の祭りや行事を単に「伝統」として享受するだけでなく、その背景にある歴史的文脈を知ることは重要だ。今回の写真資料は、次のような活動や意識に結び付けられる。
- 学校教育や地域学習での活用:戦時下の文化行事の位置づけを学ぶ資料として有用である。
- 記憶の継承の場としての保存・展示:高齢者の証言と合わせて展示することで多層的な理解が進む。
- 防災・平和教育との連携:空襲の実相を伝える写真は防災意識や平和の重要性を考える素材になる。
今後の課題と保存の必要性
資料を保存する奏海の会の相馬信吉会長は、当時のねぶたに戦意高揚の意図があった可能性を指摘するとともに、市民がねぶたを愛していた点に注目している。戦争体験者が減少する中で、写真や証言といった「物的記録」の保存と公開の仕組みを整えることは喫緊の課題だ。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1937年以降 | 日中戦争の影響でねぶた運行は中止 |
| 1944年 | 一度だけ運行が認められた(写真資料が存在) |
| 1945年7月28日 | 青森空襲で市中心部がほぼ全焼 |
| 1946年 | ねぶた運行が復活 |
保存されている写真は、祭りのあり方が時とともに変化してきたことを示すと同時に、地域の記憶を再確認させる資料である。青森のねぶたをめぐるこの一件は、文化の継承が単なる継続ではなく、歴史的事実と向き合う作業でもあることを改めて示している。
地域の関係者や教育機関は、これらの写真や証言を活用し、次世代への記憶継承とともに、平和教育や地域史の教材としての整備を進めることが期待される。
(鈴木 由紀/プレスリリースジェーピー 青森支局)